ダイパと若干苦い思い出と悪癖

冬も近づき、シンオウ地方もますます寒くなってきましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

そう、ダイパリメイクですね。

実際にプレイしてみて色々な事を思い出してなんとも言えない気持ちになったので書き残そうかなと久しぶりに筆をとった次第です。

 


リメイクをプレイしていると、ダイパが大流行していた当時私はDSを持っておらず、シンオウ地方の景色は人の肩越しで覗いていただけだった事を段々思い出してきました。めちゃめちゃ羨ましかった。

親戚がもうやらないからあげると言って私にくれたリーフグリーンとエメラルドを、友達の家に遊びに行っては余ってるゲームボーイを貸してもらってちょびちょび晩酌のように攻略していた少年でした。朝ドラみたいなペースで進むのはそれはそれで味がありましたけど。小4の時には同じく親戚のお古のDSliteが来ましたが上画面が死んでいて、DS(Dual Screen)とは名ばかりの何も写さない余計な画面のついた実質ゲームボーイでした。しかし、友達の家に行かなくても自宅でポケモンできるじゃん!!とそれでも嬉しかったのをよく覚えています。

 

しかしダイパプレイヤーであらずんば人にあらずの小学生当時、ダイパの知識なしに友達の話についていける訳もなく、コロコロコミックや攻略本等でダイパの攻略情報収集だけは行った結果、私は生きる攻略本もどきのような存在になりました。当時の私はよくこの、「自分の持ってないゲームなのに攻略情報は豊富」現象が起きていて今思えば本当に脳のメモリの無駄遣いだったなと思います。流星のロックマン2に至っては周り誰もやってなかったのにマップ完璧だった。

小学校高学年だか中学1年だかあたりで上半身も無事なDSが家にきて自分でダイヤモンドを攻略しましたが、初めてプレイするはずなのにどうすればいいかわかってしまい、あまりサクサク進みすぎて味気なく感じた気がします。実際シナリオに関して深く印象に残っているシーンが存在しない。中途半端に知識だけ持ちすぎた弊害ですね。逆に記憶に残っているのは、もう誰もダイパやってなくて地下通路で人と会えずミカルゲ捕獲出来なかったり、GTSとかを駆使してもパルキアがゲットできずに結局パール買ったりとかの予想外のうまくいかなかった体験な気がします。結局人間の記憶に深く刻まれるのは知識よりも体験だなぁ、と感じます。


今でもゲームを理論や知識から入りたがったり、ネタバレを全く気にしないのはこの当時からの悪癖なんだとなんとなく点と点が繋がった気分です。